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これに対して江戸時代の日本は、自給自足的な農耕共同体の自律性が強かったため、こうしたタテ社会を横断するヨコのつながりがほとんどなかった。江戸時代後期から商品経済が農村に入ってきて、市場によるヨコのつながりが生まれ、それが明治以降の近代化に適応する要因になった。この意味で明治以降の近代化は、タコツボ的な農村に分断された日本を、天皇という中国的支配者をモデルにして中国化する過程だった。

しかし天皇制による<帝国>化が敗戦によって挫折したあと、戦後おこなわれたのは再江戸化だった。職工や商人などのノマドはムラ的な「会社」や系列構造に組み込まれ、「終身雇用」の正社員だけが中間集団の正式メンバーで、それ以外を周縁的な労働者として位置づける階層秩序ができた。こうした無数の中間集団の集合体として国家が構成され、政治家はその利害調整を行なうだけだった。この構造は偶然、工程の補完性の高い知識集約型の製造業と親和性が高かったため、自動車・電機・精密機械において突出した優位性を発揮した。

http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51301310.html

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